金烏玉兎庵

算命学にまつわる雑記の保管庫です。

干合支合の関係の人って素晴らしい

干合支合という、結婚に向く相性というのがあります。
これについて、最近、ふと気付いたのですが、
コト男性に限ると、
それが恋愛関係かどうかは別にして、
人生に大きな影響を与えてくれたり、
仕事を発展的にサポートしてれたり、
新しい世界を見せてくれた人というのは、
私の場合、すべて日干支が干合支合の関係にある人でした。

干合は結婚相性と言われがちですが、そうでなくても気があう相手、
支合は自然と現実面で結果が出やすい相手です。
干合支合というのはその両方、
気が合って一緒にいると、現実面でもいろいろと結果が出たり前進したりする相手。
ものすごく相性がよく、実利のある相手でもあります。
60干支のうち、干合の関係になる干支は6つ。
そのうち支合の関係になる干支は一つなので、60分の1の相性といえば、そのすごさが伝わるでしょうか。

干合支合の一人目は、
前職で転職したばかりのときに指導役だった先輩。
その方とは本当によく飲みにいったり遊びにいったりしましたが、
仕事面でも懇切丁寧にご指導いただき、おかげで未経験の法人営業で100人くらいいた部署のトップ3に入るくらいの成績を上げられるまでになりました。

干合支合の二人目は、
転職して左遷された時期に、仕事以外の世界を大きく広げてくれた人。
あまり興味のなかった分野を見せていただき、自分の人生を考え直すきっかけをいただきました。
またそれに付随して仕事以外の人間関係が大きく広がり、そこに意義ある交友関係を築くことができたのはその人のおかげです。

干合支合の三人目は、
学びのエキスパート。
仕事以外の世界に対峙したときに、まず改めて学び直したいと思ったときに、その学び方、学ぶ姿勢を示してくださった方です。
先日、初めてサシでお話する機会があったのですが、
生き方がカッコよく、組織に縛られない中で魅力的な人に囲まれて生きる素晴らしさを見せてくれています。

干合は引き合うことによって干が変化するもので、そうした変化を通して人間的に成長できる関係です。
干支上の婚姻の関係ともいわれ、
結婚の相性が良い組み合わせとしてよく挙げられますが、
必ずしも結婚や恋愛ではなくても、
干合支合の関係というのはとても有意義なものなのだと、自分を振り返ってみて思いました。

ちなみに、
己と庚は干合しても変化しないため、
あまり成長につながらないようなことを前に書きましたが、撤回しておきます。
私は日干が己ですが、
振り返れば、彼らに出会ったことで、私は大きく成長できたと思うし、それに付随する現実的な結果も得たし、今なお得つつあります。

それにしても、
あまり意識していませんでしたが、
調べてみると私の人生には既に3人の干合支合の人が登場していました。
すべて、人生における重要人物です。
そう考えると、
人生に大きな影響を与える人というのは、命式からある程度分かるということなのだろうと思います。

とはいえ、
私は彼らに出会ったときにそれと知っていたわけではなく、
なぜか自然と親しくなり、
様々に教えをいただいたり世界を広げていただくようになったもの。
むしろ、
自分が魅力的だと思う気持ちに正直でいる先に、こうした成長につながる出会いや関係があるというほうが正確な気がします。

自分の正直な気持ちの先にこうした関係性があるということは、
宿命から逸れていないことの証左でもあるようで、ちょっと嬉しく思いました。

異気集合論と十二大従星

算命学の根本原理の一つに、異気集合論というのがあります。
人間は、異なる気の集合体であり、
その「気」は、人生で会うことが定められた人たちの「気」であって、
その「気」の構成を知る手段が命式であるという考え方です。

この異なる「気」は、生まれたときからすべてが備わっているわけではありません。
生年月日から算出する命式にはその構成が現れるので、生まれた時点で集まる「気」は決まっていますが、
その「気」が集まってくるのには時間がかかります。
「気」は性質であり、巡り会う人であり、出来事。
その「気」の組み合わせによって様々なパターンの人生がそれぞれに出来上がります。

「気」の集まり散じていく流れは十二大従星に見ることができます。

前半は気が集まっていく流れ。
天報星は受精卵の星、気がどんどん集まり始めます。
天印星は赤ちゃんの星、気が現実世界で形を得ます。
天貴星は子供の星、気に自我が芽生え一個の気の塊として存在し始めます。
天恍星は思春期の星、気が揺らぎながら様々な外側の気と出会い始めます。
天南星は青春の星、自分の内側の気と外側の気が押し問答をするなかで自分の気を強く押し出します。
天禄星は大人の星、自分の気と他人の気のバランスを取りながら世の中に在ることができます。
天将星は王様の星、他人の気を前提にしながら、自分の気を明確に打ち出すことのできるところです。
これが気が集まった集大成のポイントで、自分の気と外側の気が真にバランスする場所です。年齢にして50歳くらい。

ここから後半、気が散じ始めます。
天堂星は老人の星、自分の気を解放しながら外側の気をうまく取り込み使うことができます。
天胡星は病人の星、自分の気をさらに解き放ち、外側の気を操ることができます。
天極星は死人の星、自分の気は薄まり、外側の気のあるがままの姿を受け入れることができます。
天庫星は入墓の星、自分の気を手放しつつ、外側の気のあるべき姿を模索し引き出します。
天馳星は宇宙の星、自分の気が外側の気に溶け込み、外側の世界がそのあるべき姿として構築されていくために手を尽くします。

前半は、自分の気が形作られるプロセス、
後半は、外側の気が形作られるプロセスともいえます。

各人が持つ3つの十二大従星とは別に、世の中の仕組み、モノの生成滅失の流れがそのようにあることを知っておくことは、
人間関係やプロジェクトの遂行、あるいは植物の育成などにも役立ちそうです。

その上で、自分の持つ3つの十二大従星が持つ役割を知り、それがどのようなポジションにあるのかを認識すると、
星を光らせやすいように思います。

また、十二大従星は後天運でも巡っています。
長期の目標に向かう場合、こうしたプロセスも織り込んでおくと効果的に力の配分もできそうです。

艱難汝を玉にす

「うつ」というのは、自分の思う自分像と現実の自分との乖離が甚だしく大きい場合に発症するともいわれます。
(そればかりでなく極度の疲労などが原因のこともありますが)
とりわけ、
調舒星や鳳閣星(火性)と牽牛星や車騎星(金性)の相剋とか、
調舒星や鳳閣星(火性)と玉堂星や龍高星(水性)の相剋の場合は、
うつとまでいかなくても、なかなかストレスを感じやすい組み合わせです。

火性と金性の相剋の場合、表現することが名誉を傷つけ、
水性と火性の相剋の場合、表現することを知性が抑制するので、
葛藤が大きく自家撞着に陥ったりします。
精神の葛藤や、名誉を傷つける葛藤というのは、精神を損ないやすく、結果としてうつに陥ることもあります。
特に表現(火性)というのは、自分を世の中に表明していく動きなので、それが剋されたり、それによって名誉を剋すのは、
その仕組みを知らずに表現に邁進する場合、堂々巡りになり疲労感と徒労感ばかりが残ることになりがちです。

ただ一方で、表現というのは、磨かれることで伝わりやすく、
また芸術性を備えることもあるものでもあります。
その意味では、火性の表現を高めようとする場合には、こうした葛藤をもたらす相剋は、むしろ歓迎すべきものであるという考え方もあります。

よって、
こうした相剋を持ちながら火性を光らせること、表現を志すのであれば、
知性や名誉、頭が良く見えることやかっこよく見えることを、
一先ず棚に上げて(気持ちの上でそう割り切って)、
表現に集中する、それも雑念を捨ててシンプルに表現していくことに集中することが望まれるように思います。

例えば、
表現の粋の一つである小説という分野、
その賞にもなっている芥川龍之介は主星が鳳閣星という正統派の表現の星ですが、東西に車騎星があり表現の星は両側から剋されています。
また直木賞直木三十五は西と南に調舒星、北に鳳閣星と表現の星が3つもありますが、対して主星は玉堂星(水性)で火水の相剋、東は車騎星(金性)で火金の相剋があり、相剋しかありません。

しかし、
名誉(車騎星・牽牛星)は、剋されるといいつつ、相剋に負けずに表現を重ねたことで、小説の賞に冠されるまでになったことを考えると、
相剋というのは決して剋されるものを滅し淘汰するのではなく、
試練を与え練り磨くための役割を果たすということが分かります。

試練というのは、超えられない人には与えられないともいいます。
また、相剋のある場所は才能の在り処ともいいます。
「艱難汝を玉にす」
という言葉を支えに、前向きにあるのが良いのだろうと思います。

ちなみに、
私は火金の相剋が3つもあります。
試練に対峙する日々です。

「庶民的」と散法の捉え方

「庶民的」という言葉があり、
ある年齢以上の人は極端にこの言葉を嫌がることに最近気づき、言葉を選ぶようになりました。
より若い世代で「庶民的」というときは、割と「普通の人っぽい」くらいの意味ですが、世代によっては「下賎な人たち」のように受け取られることもあるので注意が必要です。

算命学で己は「庶民的」と言われたりしますが、これは、神様の住む人の立ち入らない場所としての戊(山)に対するもので、たくさんの人と交流できる場所という意味です。
己は平地、昔でいえば田畑、今でいえば人のたくさん住む街や都市です。

古代東洋に思いを馳せれば、
城郭というのは王様と公家、そして軍人の限られた人たちの場所で、
たくさんの人がいるのは農村の田畑だったため、田園と書かれたりするのですが、
これを今の感覚に修正すれば、
やはり都市部ということになるように思います。

ちなみに、
最近、私が算命学について人に話をするときに「庶民的」という言葉を使うときは、
「モノゴトを片方からだけ見つめる人」
を指しています。
モノゴトには良い面と悪い面があり、
その両方を見据えて物を考える視点を一極二元と言いますが、
その視点を得られる前の「普通の人」という意味で使います。
「大衆」という言葉に近く、
大衆とは大多数の人であってパレートの法則でいうところの8割の人、
大衆迎合主義という言葉は、
モノゴトを片方からだけ見て判断する人たちが喜びそうなある種短絡的なやり方をいうものです。

算命学を浅く学ぶと、
吉凶があり、例えば散法といわれる対冲とか害とか刑、破、これに付随して天剋地冲や納音などは、凶といわれることが多くあります。
大衆的、庶民的、大多数の片方からだけものを見れば確かに凶といわれるのも納得の性質があり、これはこれで間違いではありません。

しかし、散法はそもそも、モノゴトを分離し散じる気の流れであるというだけのことであって、そこには善悪はないというのが算命学の考え方。
そもそもですが、算命学は森羅万象、自然の論理を説く学問で、あるがままのモノゴトの仕組みを論じるのであって吉凶、善悪を論じません。

また、算命学は帝王学、支配者の学問といわれるのもこうした所以によります。

全体を俯瞰してあるべき判断をするべき立場にいる人が身につけておくべき視点。
一方、片方だけから見る視点は被支配者のものであって、まさに庶民的、大衆的です。
「支配者の視点」という言葉に抵抗のある人も、「被支配者の視点」といわれると、「それはちがう」と思われると思います。
自分の人生は、自分が王様であって、
自分が自分の人生の支配者である、
ととらえ、多くの人が「支配者の視点」である一極二元の視点を得られるといいなと思います。

以下、参考に散法の意味について、拙いながら一極二元の視点をご案内しておきます。

対冲は破壊といわれますが、壊れたほうがいいものもあり、壊れた先に生まれるものがあるという意味もあります。

害は自然の流れを阻害するといわれますが、不自然な中でしか出会えないものもあり、そこに新たな発見があることもあります。

刑はケンカや葛藤といわれますが、順うばかりでは大きく成長できないこともあり、ケンカや葛藤を経てしか得られないものもあります。

天剋地冲は精神的な葛藤と現実的な破壊が同時に起こるので大きな衝撃を伴うとされますが、この関係は60干支のうちの2つだけ。
生きる上での新陳代謝として必要なプロセスといえます。

納音に至っては60干支のうち自分の干支の反対側にある1つだけのもの。
人生の転換点です。
納音までは大きく人生が開き様々な経験をする時期、
納音からはそれまで学んだことを自分の宿命を果たすためにまとめていく時期。

なお、対冲や天剋地冲、納音は、
宿命から大きく外れている場合、その衝撃は大きくなりますが、それによって本来の道に戻れるものでもあります。

これらの時期、考えなく大きな行動をするとガツンと衝撃がきたりもするので、
できるなら控えめに受け身に、
そして自分のためではなく人のため、世の中のために過ごすと禍が浅いといわれます。
また、精神性の高い人はこれらの禍を受けにくいともいわれますので、精神性を高める生活をするのも良い過ごし方です。

政治家の星と選挙

算命学で、政治家や実業家に多い星の組み合わせとして、
石門星と天将星があります。

単に組み合わせとしてあるだけでなく、石門星を天将星が支える組み合わせの場合、よりはっきりと明確にその作用が安定的に発揮されやすくなるといわれます。

若年期、壮年期、晩年期の組み合わせは以下の通り。

☆若若
晩壮若
晩壮壮

一般的に、大政治家とか大実業家と言われる人の多くは、壮年期のそれも中央に石門星を持ち、それを天将星が支えています。
安部首相や松下幸之助氏、楽天三木谷社長などもそのカタチです。
なお、安部首相と松下幸之助氏は生月中殺もあるのでよりスケールが大きくなります。
(三木谷さんの場合、お金は稼いでいますが今ひとつスケールに欠ける印象)

とはいえ、
これらの組み合わせがなければ政治家に向かないというわけではなく、
例えば小泉純一郎元首相は主星が鳳閣星でそれを支える星は天印星だったり、
(しかし、陰占の命式が特徴的で、地支が三合会局で金性一気格、すべて金性になります。そして生月中殺もあり。)、
中曽根康弘元首相は主星が鳳閣星でそれを支える星は天胡星だったりします(ただし、陰占の命式は従生財格の完全格。)

なので、
ある程度長期にわたり政権の座にある人というのは、やはりある程度普通と違う命式をお持ちではあります。
が、必ずしも石門星と天将星がなければならないわけでもありません。
また、これらの星があるから成功者になるわけでももちろんありません。
(うちの弟は石門星と天将星を2つずつ持っていますが、サラリーマンですし。)

そんなことを考えつつ、
このところ、
春の統一地方選挙と夏の参議院議員選挙に向けて、まわりで立候補の準備を進める方が何人かおられて、
今日はちょっと調べたりしていました。

選挙の明暗というのも、割とはっきり算命学でわかるところがあります。
「政治家」と一言で言っても、
必ずしも総理大臣になるだけが政治家ではなく、いろんな役目役割があり、
それを遂行するのに向く人とか、
一般大衆の思いを伝える役割を担う人とかがいるわけで、
石門星と天将星が必要なわけでもなく、
むしろ、単に当選するかどうかというのであれば、
対立候補との命式の比較、
人生のプロセスにおいて陽転しているか陰転しているか、
そしてその時に回る星との兼ね合いなどのほうが大事であったりもします。

ということで、
選挙の日程が決まり、候補者が確定したら、算命学的観点での星取表を作ってみようと思っています。
政治家、あるいはその候補者というのは、その生い立ちから今に至るまでの歴史を、割と詳らかに開示しているため、
陽転、陰転も良くわかり、勉強素材としてはかなり有効です。

ちなみに、
その結果、ある程度の確率で当落を当てられたら、次のステップとして、軍略的な算命学の利用にもチャレンジしてみたいと思っています。

方位取りは底上げ力

小旅行。
今日の大吉方位にある実家へ。
コツコツ方位取りもやっています。
方位取りは、底上げ力なので、パッキリハッキリ分かるものでもないですが、
じわじわ効きます。

iPhoneアプリの「恵方サーチ」というアプリが便利です。
細かいお出かけの際にサクッと調べられます。

 

なお、海外のような遠いところで方位取りをすると、かなり分かりやすく変わるといわれますので、

予定のある方は試してみると良いかもしれません。

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命式がすべて陰の干支の人は人のために生きる人

陰占の命式を構成するすべての干支が陰の場合、
自分から積極的に誘うとか、
自分から積極的に立候補するとか、
自分から積極的にプロポーズするとかいうことに気持ちが向きにくいように思います。

やってみても、あまりうまくいかないというか。

私はそのタイプに当てはまり、
実際、
自分から誘って何かをするとか、
自分から企画して何かをするとか、
自分から自発的に役割を担う、ということをほとんどしません。
やってみたことがないわけでもないですが、大抵うまくいかないか、あまり気分の良くない結果に終わったりします。

一方で、
誘われたら余程イヤでなければ断りませんし、
頼まれたことは最大限手を尽くします。

振り返って思うに、
何かをしてうまくいくときというのは、
「自分のために」ではなく、
「誰か他の人のために」やるときでした。
自分の利益や評価を求めて何かをしても、空回りするばかり。

例えば、
前の仕事で大きく稼いでいたときは、
母が家を欲しがっていて、
それを何とかしてあげたい、
と、思っていたことが原動力でした。
また、
当時の上司にとてもお世話になっていたのですが敵の多い人で、
その人の社内の評価を上げてあげたい、という思いがあったことも原動力であった気がします。

その後、
家は結局父が買ったことでその原動力は弱まり、
(地方に自宅を持っていたので、父はそこに帰るつもりで、首都圏に家を買うことに消極的だったのですが)
さらにその上司がいち早く部長職に昇格されたことでそちらの原動力も弱まり、
その仕事へのやる気が薄らいでしまいました。

転職して、
割りとすぐにセクハラなどがあり、
「誰かのために」の「誰か」を見つけるのに難儀して、
「自分のために」頑張ろうとした時期があるのですが、面白いくらいに空回りしました。
今思えば、私は「自分のために」は頑張れない人間だったということなのだろうと思います。

その後、仕事が楽しくうまく回り始めたのは、
「自分から望む」ということをやめ(特に希望したわけではない部署で仕事を得て)、
尊敬できる上司に出会い、「その上司のために」頑張るようになってからです。
ちなみに、その上司はかなり早く次長職に昇格されたので、少しは役に立ったのだろうと思っています(もちろん、そればかりではないですが)。

そうしたことは、
算命学を学び始めてようやく分かったことですが、
以来、基本的に自分から自分の利益のために何かをするということをやめ、
「この人のために」とか、
「世の中のために」と思える何かとの出会いを探し、出会えたときはそれを大事にするようになりました。
拙いながらも算命学や東洋思想について書き始めたのもその一つです。

何かをするときに「空回りしているな」と思われる人は、陰占の命式を見直してみると良いかもしれません。

自分のために頑張れない、
頑張っても評価されない、
企画しても人が動かないようなタイプの人は、
自分以外の何か大義名分を見つけることで、大きく物事を動かせるようになる人です。
そうした大義名分との出会いが、人生を開くきっかけになるかもしれません。