金烏玉兎庵

算命学にまつわる雑記の保管庫です。

陰陽五行は成熟に向かうフレームワーク

人間、成熟してくると世の中の多様性が見えてくるようになります。
自分と他人が異なることを認識し、
自分と異なる他人の個性を尊重し、
さらにはそれをうまく陰陽五行の組み合わせで活かすことができたりもするようになるので、
世界の多様性を楽しむことができるようにもなります。

 

未成熟な人は、
他人の行動に自分の不満を見つけます。
自分がやりたくて我慢していることを他人がやっていたりすると非難しますし、
自分が欲しいものを素直に欲しいといって他人が手にしたりすると糾弾したりします。

 

例えば、
「あなたはしょっちゅうFacebookに投稿してるよね。」
と非難する人というのは、
実はその人本人がまわりの人にtoo muchと思われることを恐れて投稿を控えている人で、
自分が囚われている型に人を押し込もうとしている未成熟な人です。

あるいは、
何かにつけてお金で解決しようとする人というのは、
その人自身がお金に執着し、
そこにしか価値を置いていない、
又はそこにしか価値を見つけられない人であったりします。

 

人から投げられる言葉や行動に、
傷つくことはよくあることですが、
それがその人の何を投影した言葉なのかを考えてみると、それらに翻弄されることがなくなり、
さらに成熟すると、それを利用することができるようになります。

 

成熟とは何かといえば、
人や物事の良い面と悪い面、陰陽を捉え、
人や物事の功罪、五行を捉えて、
その相剋相生をうまく活用することをいいます。

 

物事を眺めてボトムアップでそれを捉えていくには長い時間をかけての精神の修養や鍛錬が必要ですが、
陰陽五行の枠組みをフレームワークとして活用し、物事をその枠組みにのせていくと、ある種トップダウン的に簡単に物事を捉え、成熟に向かうことができます。

 

ちなみに、
フレームワークとは、強み弱みを分析するときのSWOTとかマーケティングで使うSTPとかが有名ですが、これらは物事やデータを分類しすることで分析し、活用するためのツールで、
「物事を分類して活用する」という点で、算命学と似ています。
算命学も「分類学」といわれたりしますし。

 

ちなみに、SWOTとかSTPを陰陽五行で使おうとすると以下のような感じになります。
SWOT
内部要因の強み(Strengths)
内部要因の弱み(Weaknesses)
外部要因の機会(Opportunities)
外部要因の脅威(Threats)
を分類して活用するためのフレームワークです。
これは強み弱みを陰陽に、機会脅威を相生相剋に置き換えられます。

※STP
セグメント化(Segmentation)
ターゲット選定(Targeting)
ポジション取り(Positioning)
を分類して活用するためのフレームワークです。
これは、商品とセグメント化を五行で行い、相剋相生それぞれストーリーを作ってターゲットを選定、自分と後天運の五行とターゲットの相性の良いところでポジションを取っていきます。

天馳星の霊感?(雑記)

面白いもので、
目に映り心を捉える風景というのは、
自分のコンディションを反映しているものです。

 

今の心はこの風景のように静か。
このところ、そんな日々が続いています。


「投稿のパンチ🤜の効きが甘くなった」
と指摘されたりしますが、
まぁそれもコンディションが投影されているのだと思います。

 

昨日、遅めに帰って家でゆるゆるしていたら、近所の友人が、
「今からサイゼリヤで飲もう!」
というので行ってみると、
長らく激しい対立関係にあった人も呼ばれていて、なぜかそこで三人で語らう、
ということがありました。

 

ちなみに、
普段はサイゼリヤで飲んだりしないし、
そもそもそのサイゼリヤはうちからは遠いので、普段だったらそんな時間から行ったりはしません。

さらにいえば、
私がピリピリしているときであれば、語らうなんてことにはならず、気まずい空気が流れてしまったことでしょう。

 

でも、
この写真にあるような、
穏やかな水面のような心持ちだったので、
呼ばれるままに行くことにし、
そんな穏やかな気分だったので、
長らく激しい対立関係にあった人とも和やかに和やかに会話などもできたのでした。

 

呼んでくれた友人は、天馳星が2つあります。
天馳星は閃きの星という印象が強く、あまり霊感とかいう感じもしていなかったのですが、
そんなふうに私のコンディションを感じ取っていたのだとしたら、
何か霊感的な、テレパシー的な力に長けている、ということなのかもしれないな、と思いました。

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対冲と「180度」のトレーニング

海外ドラマ『ビリオンズ』で、
精神科医ウェンディが、夫である連邦検事のチャックが完全に行き詰った状況にあるときに、
「180度」というトレーニングを勧めていました。

 

「180度」のトレーニングというのは、
『これまでのやり方でどうにもならなくなったら、
その真逆の視点で真逆のやり方を採用せよ。』
というようなトレーニングのようで、
これをすると、
損切りが出来なくなっていたトレーダーが損切りをできるようになるのだとか。

 

それを聴きながら、
対冲と同じだな、と思いました。

 

位相法で対冲というのは180度の星回り。
その対冲が巡るタイミングというのは、
「破壊」とか「分裂」、「停止」といった現象が起こり、二進も三進も(にっちもさっちも)いかなくなったりします。

 

宿命に沿っている場合はそれほど強い現象にはなりませんが、
逸れているとパキッとか言って壁に激突したみたいな現象が起こり、文字通り分裂したり崩壊したりということもあります。

 

もともと対冲には「方向転換」という意味もあるので、そんなふうに激突して分裂したり崩壊したりした場合というのは、
進んでいる方向が宿命から逸れているということで、
「その道は違いますよ」
と教えてくれているのですが、
兎角現代に生きる人というのは、
「方向転換」を敗北のように受け止める人が多く、
「負けたくない」がために現状にしがみついてしまったりします。

 

でも、そこで、
ウェンディのアドバイスの「180度」を知っていれば、
負けたくない頑なな人も、柔軟に180度真逆の視点で真逆のやり方を採用することができ、状況を打開することができるだろうな、
と思いましたがどうでしょうか。

 

ちなみに、
私は東に対冲がめぐったタイミングから、
仕事へのスタンスがまさに180度ガラリと変わりました。
それと知っていたわけでもないのですが、
振り返ればそのタイミングで自分の立ち位置の捉え方が変わり、
結果として、より安定的に仕事に取り組めるようになったような気がします。

 

特に強度のある破壊とか崩壊といった現象がなかったのは、仕事や状況にしがみつくほどの強い思いがなかったからではないかな?
と思うので、
これから対冲がめぐる人は、
「しがみつかずに方向転換」することを意識しておくと、穏やかにそのタイミングをやり過ごせるのではないかと思います。

 

散法(対冲とか刑とか害とか天中殺とか)がめぐるタイミングというのは、基本的に大人しくしておくべきタイミングですが、
対冲のときは、「大人しく方向転換する」ことを視野に入れておくと、何が起こってもまぁ柔軟に受け止められて良いように思います。

夫婦のアンバランスと未成熟

このところ、DVやら虐待やらのニュースをよく耳にします。

これらのニュースではだいたいにおいて、
「加害者側が悪くて被害者側が可愛そう」
という論調になるのですが、
これが夫婦間のことである場合、心理学では未熟なまま結婚してしまった人同士の共依存関係として双方に問題があると考えるそうです。

 

算命学でも、
宿命を未消化のまま結婚した未成熟な夫婦というのは十二大従星のエネルギーが極端に差があることが多くあり、
DVや虐待に発展するかは別にして、
結婚としては脆弱で離婚しやすいといわれます。

 

例えば、
最身強の夫と最身弱の妻とか、
その逆とかいうのは、
夫婦でみればバランスするので二人でいる限りは一定の安定を得るのですが、
個人でみれば、自分一人では得ることができずにいたバランスを配偶者によって得ている(=自分一人では不完全)ということなので、
その結婚自体は安定性を欠くと捉えます。

 

前に書いた情的結婚も未成熟なままでの結婚の形でしたが、
こうしたアンバランスな結婚は、
お互いが共に未成熟である限りにおいては小康状態ともいえるバランスを保つことができるものの、
どちらかが何かのきっかけで成熟に向かうと、もう一方もそれに追いつく成長をしない限り、その関係は破綻する傾向にあります。
(成長することで、方向性の違いが明確になってしまうこともあります。)

 

成長すること、成熟することばかりが善ではなく、
アンバランスや脆弱が必ずしも悪ではないのですが、
何か大志をもって成し遂げたいことがあるような人は、このあたり、意識したほうが良いかもしれません。

 

算命学では、
宿命の消化が開運に向かう道といわれ、
身強だろうと身弱だろうと、宿命に応じた消化ができていれば安定を得ることができます。

 

安定を得ていない人の、自分の対極のエネルギーを欲してする結婚が安定あるいは停滞に向かうのに対し、
安定を得ている人の、エネルギーが近い人との結婚は、切磋琢磨につながり発展に向かうように思います。

 

とはいえ、
他の要素にもよるので、「絶対」ではありませんし、
既にアンバランスな結婚をされていても、
友達や仕事仲間と切磋琢磨して成熟、発展に向かっている方もいます。

なので、一つの視点として参考にご覧いただければと思います。

 

以下、十二大従星の点数(ご参考)
天報星:3点
天印星:6点
天貴星:9点
天恍星:7点
天南星:10点
天禄星:11点
天将星:12点
天堂星:8点
天胡星:4点
天極星:2点
天庫星:5点
天馳星:1点

「好き」をつなぐ先にある天職の兆し

先週末、何年振りかに会った甥っ子が欲しいというロボット🤖をプレゼントしました。


「ロボット🤖」と書きましたが、

レゴのプログラミング教材で、いわゆる知育玩具です。

このロボット🤖、値段もさることながら、その内容が私から見ると難解すぎて、小学五年生の彼がそれを使いこなせるのか懐疑的ではあったのですが、

対象年齢をクリアしていたこと、

「大丈夫🙆‍♂️」と笑顔で答えるその言葉を頼りにネットで購入、

明日には彼の家に届くよう。


私たちの世代は、

「できること」より「やるべきこと」に囲まれて育ちましたが、

最近は、「できること」を伸ばす教育の良さが再確認されているようなので、

もしそのロボット🤖が彼の才能を伸ばすことに寄与するなら、まぁ安い買い物であったのではないかな、と思います。


もしそのロボット🤖を使いこなせず、

途中でポイッとしてしまったらどうか?


私はそれでもいいかな?

と思っています。


世の中「天職」というものが万人各々にあるものだということを信じる人は少ないですが、

「天職」というのはやはりあります。


なぜか気持ちが向かうこと、

習ったり携わったりする前から「自分にはできる」と思えること、

困難にぶつかっても、それを楽しんで取り組んで行けること。


そういうことは誰しもに何かしらあるものですが、

それは天職の兆しであり、

そうした兆しを大事に育てていった先で、

それが天職になるのか、あるいはもっと別の何かにつながるのかは分かりませんが、

その兆しを頼りに進んでいくことで自分の天職に出会えるのではないかな?と思っています。


もしロボット🤖をポイッとするならそれはそれが彼の「天職の兆し」ではなかったということであり、

それが分かるだけでもよいのではないか?

今後、同じことで迷うことはなくなるわけで、その分他の可能性を試す時間ができるなら、それも無駄ではないんじゃないかな?

…いうことです。


小学校の卒業文集などで

「将来なりたい職業」

というのがたいてい書かされますけれど、

それらの職業をイメージで選んでいる子供というのが結構います。


しかし、私自身がそういうイメージでなりたい職業を選んだ小学生だったので余計に思うのかもしれませんが、

本来、「将来なりたい職業」を文字に落として誓うなら、それはやはり何かしら実体験をもって選択したものであるべきだろうと思います。


実体験をもって「これが好き」というものに出会った人というのは本当に強くて、

例えば吹奏楽部だった人にとって音楽が生涯の友達になったりするのに似て、

人生の支えを得ることができます。


ちなみに、

天職というのは命式からも推し量ることはできるのですが、

それ以上に大切なのは「これが好き」という自分の思いです。

自分の好きなことを命式に沿って消化していくことが天職であり、自分の「好き」なしには何も始まりません。

その意味では、大人になってもそうした「好き」をつないでいく在り方が望まれるように思います。


だいたいにおいて、

「これが好き」と心が発するものというのは宿命に沿っているものでもあります。

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見栄えの良い人生の歪み

学校とか会社とか配偶者とかをブランド志向で選ぶ人というのがけっこういます。

 

それはそれで結構なことなのですが、
一流の大学を出て一流の会社に入り、
結婚して、子供もできて、さらに子供もブランド志向に乗せていこうとするような生き方を間断なく続けているとどこかに歪みが生じるもので、
できるならどこかでガッツリ立ち止まるなり、緩めるなりガス抜きするなりした方が良いのではないかな、
と思うこの頃。

 

「そんなのどうでもよくない?」
と言ってみる、とか。

 

いわゆるブランド志向な生き方というのは、
言い換えれば横線(現実思考)の生き方で、そちらに偏りすぎるとどこかでポキンと折れたりします。

 

それでも、身弱の星がどこかにあれば、
ポキンと折れてもそこから更生もできるわけですが、
例えば従星が身強の星ばかりあったりすると、
力技でそうしたブランド志向の道を歩んでいけてしまいますし、
途中のシグナルも無視して突っ走り、
挫折を挫折と認めることなく逆風の坂道を全力で登り切れてしまうこともあります。

 

完遂できれば立派ではあるものの、
遊びのないそうした様子は緊張感を孕み、
ある面でから見ると「ちょっと痛々しい」ようにも見えるわけですが、当の本人はそういうことに気づくことなく頑張ってしまったりするわけです。

 

そういう生き方は片面から見れば「見上げたもの」という捉え方もできるのですが、
そのプロセスにおいて相応に「人としての器」を大きくしていくことができなければ、
頑なさが高じて癇癪持ちになったり、
理想と現実のギャップが広がりすぎたイタイ人になったりもして、
まぁ一言で言えば「面倒な人」に成り下がってしまったりします。

 

背景を見れば、
同じくブランド志向の親が過保護に育てていたり、
同じくブランド志向の配偶者などが全肯定してくれていたりと、
自分を許容してくれる環境に恵まれ過ぎていることに原因があるのですが、
そうした親や配偶者が良かれと思って施した愛情は多くの場合、
会社や世間からは「始末に負えない」人間として評価されるという、
本来目指した「ブランド的」なものの対極に行き着くという事態に帰結してしまうこともままあります。

 

…なんの話をしているかと言えば、
先日久々に会ったごく近しい身内についてそんなことを考えたので書いておくことにした次第。

 

まわりではもはや絶滅危惧種に近いこうした人も、
いわゆる「一流の大学」から「一流の会社」に入り、いわゆる「本流」を目指して歩んできたような人の中にはまだまだ多くいて、
他人事ながら、近くで見ているとハラハラします。
(他人事といいつつ「身内」の場合は、ハラハラを通り越してイライラします。)

 

ちなみに、
そんなふうに何かに拘り固執して、
突っ走ってオッケーな人というのは一気格とか完全格のような人であって、
そうでなければ歪みが生じます。

 

少々挫折するくらいならいいですが、
拘りや固執の先で、
うっかり大きな力や影響力を持っていたりすると、
厄介な事件などを起こしてしまうこともよくあります。

 

見栄やプライドはもちろん、
根性などをもって突っ走ってしまうと、
大変なことになるのでやめた方がよいでしょう。

 

「いやいや、そうしたギリギリを超えて頑張って、私は出世してきたのですよ」
という人も中にはいると思うのですが、
そんな人の子供の人生は果たして健やかでしょうか?

 

「ギリギリ頑張る」
というのは美談になりますし、
当の本人の人生の燃焼という意味では美しいのですが、
そうしてバランスを崩すことは歪みを生じ、後の世代に禍根を残すことにつながったりします。

 

多くの人は、人の人生や出来事を長期的に眺める視点を持たないので、そうしたことに気づく人は稀ですけれど、注意深く検証を重ねれば、必ずどこかに歪みが生じていることに気づくもの。

 

とはいえ、
こうした指摘に耳を傾ける人は少数で、
多くの場合、実際に問題が起こった後でしかそれを伝えることが出来ないものでもあります。


「余計なお世話」なことですし、そもそも「現代っ子」はそういう「論理的ではない」ことを尊重しません。

 

なので、事前に兆候が見え、それと分かっていたとしても伝えることは難しく、
結局のところ身内としてできることというのは、何か問題が起こったときにサポートできる体制を整えておくことくらいであったりもします。

 

このことをわが身に振り返れば、
伝える術を身に付けることが私の課題でもあり、
伝えられないということは、
まだまだ修行が足りないということでもあります。

父の七回忌法要

の七回忌法要が無事終わりました。
親戚が遠方から集まってくれて、
父の仕事の同志からお花が届いて、
来し方について語らったひと時。

 

父が遺してくれたもの、
今という時間を生きていること、
そして、素晴らしい親族に囲まれていることに改めて感謝しました。

 

写真は父の同志であった室蘭の方から。

父がこの方と仕事をしていたのは今の私よりずっと若い頃でした。

父は全濁のひとで、付き合う人を選び、気難しくもあり、大きな仕事はその父が選んだ人としかしない人で、そうした姿勢には賛否両論あったようですが、

他界から6年を経てなお立派なお花を送ってくださるほどのご縁を繋げていたのだとすれば、父は気難しいばかりでなく人に愛されるひとでもあったのだろうと思います。

父を改めて尊敬するとともに、この室蘭の方への感謝の気持ちでいっぱいになりました。

ありがとうございます。

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